INTERVIEW

【 株式会社福田商会 】 事業の多角化からシナジーを生み出す会社経営

株式会社福田商会|事業の多角化からシナジーを生み出す会社経営

明治創業という歴史を持つ株式会社福田商会は仙台を拠点に様々な事業を行っています。農業用の肥料や建材の卸売、飼料の製造販売、不動産事業、さらには仙台駅東口でホテル運営も手掛け、2022年に東日本大震災の集団移転跡地に誕生した複合施設「アクアイグニス仙台」の運営にも参画。施設内の飲食店複数店を経営しています。

7代目社長の福田大輔さんは2003年、父親が社長を務める福田商会に入社し、多様な事業同士がシナジーを生み出せる組織基盤づくりを進めてきました。どんな思いと工夫で組織を作り上げてきたのか、お話を伺いました。

聞き手:株式会社ATOMica 仙台拠点長 鈴木郁斗

Interviewee

写真:福田大輔

株式会社福田商会

代表取締役 福田大輔

1976年宮城県仙台市生まれ。東北大学経済学部卒業後、東京で都市銀行に勤務。
2002年、明治19年から続く「株式会社福田商会」入社。2008年に販売部門を担う子会社「フクダ物産株式会社」の代表取締役社長に就任、2017年に「株式会社福田商会」の代表取締役専務、2023年同社代表取締役社長就任、現在に至る。
事業の柱である卸売業に加え、宿泊業や不動産業など事業を多角化。若手起業家育成にも力を入れる。常に顧客のニーズや課題の解決に対応できる組織づくり、人材育成を推進し、地域に貢献していくことを目指す。

創業は明治。事業多角化の歴史

福田商会の創業者は栃木の宇都宮出身なのですが、元々栃木の肥料商に丁稚奉公をしていて、そこから独立するときに、競合が近くにいては困るということで、東北や北海道での独立を考えたそうなんです。たまたま、宮城県の三陸の魚かすを扱えるというので仙台に落ち着いて、仙台で明治19(1886)年に創業したということです。

創業してから138年になりますが、卸売という部分は、創業以来変わらずやっています。多角化という点では、まずは農業資材を取り扱う中で精米・精麦や飼料の製造販売を手がけるようになりました。それから、土壌改良材に消石灰というのがありますが、同じ原料の石灰石からセメントができますので、大正時代からセメントを取り扱い、そこから幅広く建設資材を扱うようになりました。

その後仙台空襲で名掛丁にあった本店が焼失してしまい、戦後に精米・精麦工場のあった東七番丁に拠点を移しました。昭和55年に工場を仙台の東部工業団地に移すとともに、仙台市内に第一テナントビルを建設、また工場跡地に立体駐車場の「福田パーキング」と今弊社の本社も入っている第二テナントビルを建て、不動産業に取り組んでいることになります。

ホテルの運営を行うきっかけは、東七番丁の工場跡地の隣接する土地を買わないかというお話をいただいたことでした。当初マンションを作るか、もう1つテナントビルを作るか、という話もあったのですが、仙台駅東口のこれからのまちづくりを考えると人が交流する場が必要であり、巡り合わせでBass社(現インターコンチネンタルホテルズグループ(以下、IHG))とのご縁も頂き、ホテル事業に参入することになりました。ホテル事業をやることによってそれまでよりもキャッシュフローを早くできるだろうと考えていました。

IHGの一員として仙台地区ではじめてのインターナショナルフラッグシップホテルとして開業することができました。のちほどIHGとANAによる合弁会社設立を機にANAブランドを加え、現在は「ANAホリデイ・イン仙台」として国内・海外からのお客様を迎え入れています。

2001年にオープンしたのですが、最初の10年は大変でした。当時の日本はインバウンド観光客が本当に東京、大阪、京都に来るくらいで東北には来なかったですし、逆に日本人はもっと安いホテルを求めていて、かなり厳しい状況でした。

2011年の震災以降は復興が進む中でホテルの稼動が良くなり、東北にもインバウンド観光客が少しずつ増え始めてきたのでよかったのですが、そのさなか、今度はコロナでどん底に落とされました。ホテル事業は売り上げゼロの状態になったのですが、そんな中でも不動産業、卸売というところで売り上げがあったので、何とか事業継続できていました。

やってよかったこととしては、ホテル、飲食を行うことで地域産品の循環を作ることができていることです。創業から農業にかかわってきましたので、弊社のお客様である農家さん、畜産農家さんが手塩に掛けた季節の食材やこだわりの商品を提供し域内の地産地消に貢献しています。

ホテルには1階に宿泊者以外でも利用できるレストランがあり、2階の会議室も会食・パーティーにご利用頂けるため、地元の方はもちろん、来館される県外や海外の方々に仙台・宮城の食材を知っていただく機会を生み出すことができています。既存事業とコラボしながら、地域のPRにつながっていると思っています。ホテル事業はまだまだ大変な状況ではありますけど、既存事業とのコラボによってそれぞれの事業に付加価値をつけることができていると感じています。

そうですね。彼は強いリーダーシップの下でダイナミックな事業を展開されていて、同級生の立場としてだけでなく、一人の経営者仲間としてすごく尊敬しています。特に時代に合った組織の作り方と、モチベーションの上げ方は本当に上手だと思います。

 社内の各部門でも様々連携を考えているのですが、私自身もいち消費者でもあるので、これとこれが繋がったらもっといいな、こういうふうに動かせば効率がいいなとか、俯瞰的に考えたり、ときに直感でこれをやってみよう!と言ってしまいます。一番は弊社に関わるお客様に喜んでもらえるために何ができるか!?だと思います。例えばある農家さんが米の転作で小麦を作ってみたい!と話していたんです。そこで宮城県が推奨している小麦の品種でパン用の小麦を生産してもらい、順調に面積も伸びてきていて、弊社運営のベーカリー店での活用として域内循環を実現させていこうと考えています。

アクアイグニスも含めた様々な部門を持っているからこそ色々なチャレンジができます。企業と企業でシナジーを生むこと大変だと思うのですが、それを社内の中でできるということはいいことだと思います。

時代の変化を読み、組織をつくる

 私は東北大学卒業後、東京で銀行員をしていたのですが、当時の社長であった父から戻ってこいという話になり2003年に仙台に戻ってきました。その頃が一番大変でした。戻ってきたときに僕もちょっとショックだったのは、若いスタッフから会社に対して不満が出ていたことです。

 私からすると、父が考えていることが現場によく伝わっていないことが課題だと感じ、まずは組織作りに取り組むことにしました。当時はそれぞれの部門もバラバラで、隣の事業部が何やっているかわからないような状況でしたので、会社の目標や指針を作り簡易的な社内報を毎週必ずリリースして、他の部門が何をやっているかとか、社長からのメッセージを入れて、会社がどういう方向に向かっているのかを共有していました。あとは半期に一度は全スタッフでベクトルを合わせるための会議をしようと全社会議を立ち上げました。

私自身も自社に入社後、東北大学大学院経済学研究科が主催する経営塾で学ばせてもらい、そこでの様々な学びを会社に還元しました。各部門に目標値を与え、自分たちが置かれている環境をSWOTを使って考えてもらっています。こういう環境の変化があるから、何をこれからやっていかないといけないか、誰が見てもわかるようになっているかという落とし込みまでできるようになってきました。

最初は各部門がばらばらに動いていましたから、他の部門のことをお互いが理解できるようになってきたということが良かったと思っています。まずは会社の組織としてちゃんと社内で意思疎通がとれているか、トップからお客さんに近い部門までが同じ思いで動いているかどうかというところを私の中では大切にしながら動かしてきたつもりです今は四半期ごとに部門長を集めた部門長会議で指針と横の連携のあり方をどうするか考えますし、そこですり合わせをしながら、変化に対してどう動いていくのかをお互いに共有しています。適度に距離感を持ちつつ、しっかり仕組み化をして、うまく動くことができています。とはいえそれぞれの意見を尊重しすぎても前には進まないし、ある程度トップダウンが必要な時もあります。

 父は本業に最大限時間を使ってきており、地元経済界の会合にはあんまり積極的ではありませんでした。ただ、時代の変化が多岐にわたる中では、経済界の方々との連携がどうしても必要になると思い、私自身は様々な会合・団体に出て、人脈を作るようにしました。仙台商工会議所にもお世話になり、青年部では役職を与えて頂きながら多くの経験をさせていただきました。

その中で自社にない技術を学ぶ機会も得ましたし、弊社がどのような事業をやっているのか、これから何をしようとしているのかを聞いていただく機会を頂戴できた事は、今の会社にとってプラスになったと思っています。

 実は高校のクラスメイトです。私から声をかけたわけではなく、偶然人材会社から紹介されました。上場企業で働いていて、アメリカ勤務や東京の本社を経て、製造工程管理や経営企画をやってきた経験のある方です。

弊社は飼料工場もあるし、インターナショナルブランドのホテルをやっている上ではアメリカで英語を使っていた経験はありがたいし、色々な事業をやっている中で経営企画にいたという経験も必要だなと。ぜひ一緒にやりたいと思いました。

ただ、本人も上場会社にいたので、本人が求めるものと弊社のレベルが違ったら申し訳なかったので、面談と言いつつ居酒屋で飲みながら、タブレットを使って弊社の事業概要や今後の展開を全部見せて説明したんです。本人は仙台に親御さんの都合で帰ってきたい、今までの経験を生かしたいということだったので、ほかの仙台の会社を自分としても紹介できるから、来るかどうか含め判断を任せると伝えました。

 結果的には、「最初に会ってもらったのが福田商会だったし、様々な事業をやっていることに面白味もあるので、手伝いたいって言ってくれて、入社を決めてくれました。そこは本当にご縁だなと思っています。新入社員だろうが、中途採用する人だろうが、人というのは「縁とタイミングだ」と思っています。

私の中で、彼に右腕として求めた条件は、「経営者が暴走したら会社が潰れるから、猫に鈴をつけるのがあなたの仕事だ。それが出来ますか?」という1つだけです。お前だけは自分に対して厳しいことを言ってくれ。それが私にとっての右腕との絶対条件です、と。逆に彼からも1つ条件をつけられましたので、私はそれを遵守しつつ、共に前に進んでいます。今、彼がいるからこそ私は社外で様々な団体において経済活動ができていますし、大変助かっています。小さい会社ながらも自分1人では全てできないので、右腕は絶対必要だと思っています。

経営者として必要な覚悟

 形としては、父から福田商会の社長を引き継いだのが昨年、2023年のことですが、徐々に父から経営権を譲られ会社を動かしていましたし、2008年にはグループ会社の社長、2017年からは福田商会の代表取締役専務をやらせていただいていましたから自分の中では以前から、事業を引き継いでいるという感覚がありました

事業譲受されたばかりですが、60歳の時には一線を引くと私の中では決めています。今48歳なので、あと12年しかないんですよ。ただ誰かを指名するのはやりたくない。あと12年で私が何をするかと言ったら、自分の後継候補、それが自分の息子なのか娘なのか、はたまた弊社スタッフなのか、もしくはこの時代ですから外部のM&Aかもしれないですけど、その方に福田商会やグループがやっていることを見ていただいて、この会社をやりたい、運営をしてみたいって思わせる状態で60歳を迎えられるようになれたら良いと考えています。

その時点で、経営をやりたい人間、自分だったらこうやるという人間が出てきてくれたら、その時はもうバトンを渡したいし、そこから5年くらいはバックアップしながらフォローしていきたいなと思います。うちの会社は本当に小さな会社ですけど、宮城県や東北中に各種商材や技術をご提供させていただいている優良なお客さんがいらっしゃるので、やっぱりお客様のニーズに応え続けたいし、お客様のニーズ以上のものをお返ししたいなと思っています。だからこそ思いを持った人材が会社を作らなきゃいけないし、同じベクトルを持った人材を育て牽引しつつ、引き続き攻めていきたいです。うちの会社を残したいというよりも、会社の周りにいらっしゃるお客様を支え続けるための組織を残さなければいけないかなと思います。

 リーダーと経営者ってまた違うなと思っているんですよ。経営者としては変化を見る目と覚悟が必要です。人の上に立つには覚悟を持って臨まなければなりません。弊社のような会社でも100名を超える従業員いますから、従業員とその家族を背負う覚悟は必要かなと。変化を見る目を持つためには、私の場合、色々な経済団体に所属しつつ、多くの方々からシェアしていただく情報や、社会や世の中の変化をキャッチして、これからのニーズを探し求めていくということが大切かなと思っています。