INTERVIEW

【 株式会社ハミングバード・インターナショナル 】 飲食で東北を盛り上げるために、挑戦を続ける

株式会社ハミングバード・インターナショナル|飲食で東北を盛り上げるために、挑戦を続ける

株式会社ハミングバード・インターナショナル代表取締役の青木聡志さん。イタリアンレストランの「humming bird」や和食居酒屋の「炙屋十兵衛」、勾当台公園内にあり東北の各市町村の魅力を発信する「Route 227s' Cafe」など様々な業態を手掛けています。

留学から帰国した青木さんが入社した時の社員は数名。そこから400名超(パート、アルバイト含)の規模にまでどのように会社を成長させ、どのような未来を描いているのか。仙台で起業を目指す方々へのメッセージも含め、株式会社ATOMica 仙台拠点長の鈴木郁斗がお話を聞きました。

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写真:青木聡志

株式会社ハミングバード・インターナショナル

代表取締役社長 青木聡志

1975年宮城県仙台市生まれ。アメリカ留学を経て、1998年に帰国し、1980年に仙台で初めて誕生したパスタ専門店「ハミングバード」に入社。当時代表取締役だった父と共に事業を拡大。2015年に現職。「ハミングバード」のほか、「ラーメン☆ビリー」「炙屋十兵衛」など新業態の店舗も積極的に立ち上げ、現在6業態 10ブランド 27店舗を展開。
壮絶な創業期を経験し、社員数名から400名超(パート/アルバイト含む)に成長させ、フランチャイズ化を継続。社員教育に注力し、仙台を中心に東北の人材育成・起業家育成にも貢献する。

どのように事業を成長させたか

青木:米国留学から帰国し、1998年7月に入社したのですが、当時は父が3店舗経営していました。1店舗目、2店舗目は15坪、20坪くらいの広さだったものの、いきなり一番町に「humming bird」の70坪級の新店舗を出して、その店舗が赤字続きだったんです。まずはその改善に取り組むところから始めました。

当時はイタリアンを2店舗、あとは仙台市中心部にあるオフィスビル・SS30で懐石料理屋をやっていたのですが、SS30の懐石料理屋を閉じることになり、イタリアンに絞ろうという話も出ていました。ただ、「1業態に絞ってしまうと売り上げが良い時と、悪い時の差が激しくなってしまう。良い経営のためには売り上げの平準化が必要」という父の考えもあり、いくつかの業態を組み合わせることにしました。

その中で居酒屋の業態を作ろうということで、私の方で「炙屋十兵衛」というお店を業態開発からはじめまして2003年に二日町に1号店を出店。2005年には仙台駅ビルのエスパルに出店をしました。この出店が転機となって売上・利益が高まり、内部留保を増やして次の投資に繋げることができました。

また、飲食業においては立地が非常に重要だと考え、良い立地を確保し、その立地に合わせて業態を開発する戦略を取りました。仙台のマーケットの中でもまずは角地をとるという戦略で、当時青葉区の本町にはお店がありましたが、北側の泉中央、南側の長町を押さえに行きました。当時2000年ごろは大店法が改正されて、新しい商業施設が増えていく中で、商業施設の飲食店にイタリアンが必ず1店舗入るというような状況でした。ある意味そこを取りにいかないと他社に取られる、我々の成長の余地がなくなってしまうというところがあったので、まず場所を押さえるということがすごく重要なことでした。

オセロのように角地を押さえて、そこから中の充実を図っていきました。「humming bird」をいろいろな地域に出店しても良いのですが、それでは管理面で分散してしまうのでなるべく地域を搾り、その中で業態を充実させていきました。例えば、高級居酒屋だけではなく、もう少し安価な若い客層が来るような居酒屋を作る、イタリアンでいうとパスタだけではなくお酒も出るようなバルを作るとか、というような感じですね。

売るためには何でもやった

青木:今までの人生の中で一番大変だったのは入社して新業態を立ち上げた時ですね。

私が会社に入った当時は売り上げ1億5000万円、借金が2億2000万円、累損が4800万円という状況だったので、当時が一番つらかったですね。当時、私は1店舗の店長だったんですが、月末になると事業者さんから催促の連絡が来て、当時の経理のおばちゃんがうまく言って、支払いを遅らせるような状況でした。当時、経理のことなんか全然わからなかったんですが、「いや、本当うちの会社も来月潰れるんじゃないの」と思っていました。

私は社長の息子として入りましたから、周りからすると全員先輩しかいないわけです。突然ポンと入ってきて、その1ヶ月後にはもう店長ですから、何の技術ノウハウもないやつが店長になると、後ろ指を刺されまくり四面楚歌で、周りからも陰口を叩かれました。

でも何とかしなきゃいけない。毎日数字を見ながら「今日も赤字だな、今日も赤字だ」と戦いながら、どうやってこの店を変えていくかを考えなきゃいけませんでした。

一つの功名が見えたというのが、七夕まつりの時ですね。七夕まつりの時に、僕は「日商70万円売る」という目標を立てたんですよ。そのお店は、日商5万円くらいのお店だったんですが、そこで70万円売るという話をしたら、父親に無理だと言われました。

でも、僕は売れると思って、いろいろ対策を打ちました。カレンダーの裏に手書きで「死ぬほど旨い生パスタ」と書き、それを目立つように黄色いボードに貼って、僕は踊ったんです。自分で看板を持って道に立ち、踊ってどんどんお客さんを引き寄せました。その結果、見事に70万円を達成しました。その時に自分の中で、「いや、売れないってことはないんだな」と気づいたんですね。

青木:めちゃくちゃ大変だったからこそ、志を立てて乗り越えられたと思います。まずどうすれば売れるのかというところで、私たちがオンリーワンになれる方法を探しました。他店と差別化するためには何ができるか、その中でうちのお店にある資源で何があるだろうと考えながら毎日のランチタイムに観察することにしたんです。例えばビルから降りてくるサラリーマンやOLの方々が、どこのお店に入っていくのか、それでどこの商圏のどのお店と戦っているのかを僕の中で考えました。そこでひらめいたのが「パン」でした。

アメリカにいた時に、イタリアンやファミレスに行くとパンが出てきて、そのパンを食べ終わると、もう1個くれたりするんですよ。当時、コンベクションオーブンがお店の中にあって、これだなと思い、パンを無料で提供しようと決めました。

厨房の方には、「パンを無料で出そう。無料だからこそ美味しいパンを出そう」と言って、それを実行したら大当たりしました。それでランチタイムだけで20万円とか30万円とか売るようになり、女性だけでなく、近隣のサラリーマンもみんな来て、行列店になったんですよね。

青木:僕も素人だったので、夜にお客さんを呼ぶのはすごく難しくて、まずランチでお客さんが何を求めているのかをいろいろ考えました。そこでやっぱり、「速い、旨い、安い」だなと。当時、混雑すると提供するまでに30分かかっていたんですが、提供まで時間がかかる店に誰が行くかと。厨房に、「30分はかかりすぎだから10分以内に出してください」と言ったら、「無理だよ」と言われました。パスタのゆで時間は3分半だと聞いたので、それなら僕が指示しますと言って、4分で完成させました。

「自分たちの論理じゃなくてお客様を優先してください。どんなに立て込んだとしても10分以内に出す、これがルールです。混雑があったから30分かかるとか、自分たちのペースで作るわけではありません」と伝えました。貴重なお客様の1時間の休憩を奪っているんだぞってことですね。1時間しかない昼休憩の中で、お腹が空いている時、お腹が満たされてコーヒーを飲みながら過ごす15分では感じ方が全然違うんです。

お腹が空いている時間が長いとお客様が満足するはずがない。どうすれば良いかと考えた時に、さっきのパンが思いついたんです。パンを食べていると、パスタが15分かかっても気にならない。いろんな種類の焼きたての美味しいパンを提供することで、お客様の満足度も上がり、錯覚してくれる。そうやって取り組んだ結果、売り上げが急上昇しました。それが一つのきっかけになったかもしれないです。

青木:今まで僕に反発していた人たちは辞めていきました。でも逆に、そんな中から1人、2人と僕についてくる人が出てきたんです。とにかくワンマンで、「こうしろ、こうするぞ」というチームを作っていったら、もうドル箱店舗になったんです。ただ、社員だからバイトだからという区別はなかったですね。むしろ社員なんてほとんどおらず、僕以外はみんなバイトでした。

だから、アルバイトの中で主任を作ったり、時間帯責任者を作ったりしていました。アルバイトの中で階層ができると、チームがすごく回り始めるんです。バイトはバイト、社員は社員になりがちですが、アルバイトの中にどうヒエラルキーを作るか、それがすごく重要でした。もちろん、キャラクターに合わせて役割は決めます。役割を与えられてモチベーションが上がる人もいれば、もう少し負荷を下げたほうが良い人もいますからね。そういったことを繰り返しながら、チーム作りをしていきました。

鍵を握る「フランチャイズ展開

青木:売り上げ3億円くらいであれば、個人の強烈なリーダーシップだけでいくと思っているんです。強烈なリーダーシップで3店舗くらいまでは回せるんですけど、その先っていうと、ある意味チームというか、階層が必要になってくる。ですので、基本は自分が現場に立たずにきちんと組織が機能するかどうかっていうことが重要だと思っています。それがめちゃくちゃ大変なんですけどね。

自分が教えない教え方を教えるってすごく難しくて。それをきちんと明文化できていれば良いんですけど、めちゃくちゃ苦労しました。10億円を超え始めると、階層に加えて仕組み化が重要になってくるんだなと、僕は捉えています。

青木:フランチャイズモデルを作っていくことに力を入れています。どんなブランド商品でも、やっぱり賞味期限がありますので、常に次の業態を考えなければいけません。今はグループ企業としてラーメン☆ビリーという業態のフランチャイズ展開をしていて、フランチャイズ本部、各店舗、工場というような機能を作っているところです。

うちのビリーは、「二郎系」といわれるようなガッツリ系のラーメンなのに、家族でも使えるし、カップルでも使えるところが珍しいんですよ。そういう業態作りをしてるので、いわゆる二郎マニアの人からすると「ファミレス二郎」と言われることもあります。僕からすると狙いが確かに的を射ているというか、うまいこと言うなと思います。

重たいものが食べられなくなってきた人のために、鶏だしの商品を作ったり、ハーフサイズを提供したりしてますし、なんなら麺なしもありますから。炭水化物を抜くダイエットがありますよね。そういう方のためにいろいろ用意しています。

青木:例えば鈴木さんが「俺も全国展開したいんだ」と言ったら、そこで我々が「一緒にやりましょう」と、本部を代行してあげるようなビジネスも進めていきたいと思っています。

そのために、まずは我々が50店舗、100店舗と全国各地、もしくは世界に出していかないと説得力も何もないので、まずは自分たちでやるぞと。その先に、東北のいろんなキラリと光るブランドをお持ちの方々に「一緒にやりましょう」と言うような形に変えていこうと考えています。

つまり、直営の売り上げの割合を減らすわけじゃなく、徐々に比率を下げていくという考え方で、第二創業だと思って今進めている感じです。私自身は東北に対してものすごく強い思いがあるので、我々が先陣を切ることで、同業の方々に「俺らもできるよね」と思っていただきたいですね。

大切なのは「あきらめない姿勢」

今から起業しようか迷っている人や、起業したばかりで不安な人たちに言葉をかけるとしたら、「諦める前に、やれることを全てやる。とにかく絶対に心折れないでほしい」ですね。

やっぱり僕自身もそうでしたけど、スタートの時って一番苦しいと思います。でも、「もう駄目だな」と思ってからがスタートだと思ってください。

とにかく諦めないことがすごく重要です。

退路を断つことですかね。退路を断つと、火事場の馬鹿力が出ますから。僕の場合は、とにかく売上を上げて赤字を減らすすためにやるしかない状況で、もう逃げも隠れもできなかったので、そうするともう突き詰めて物事を考えますし、四六時中「どうやったら」と考えるようになるんです。

そういう時って、火事場の馬鹿力じゃないですけど、研ぎ澄まされていくんです。残すものと捨てるものが結構明確になる。そして、どういう行動を起こすべきなのかっていうところをすごく考えますから、迷いがなくなるんです。

やる前の人に関しては、まずやってみようよ、と伝えたいです。行動を起こさないと何も始まりません。そして、熱意を持って行動している人のところには助けてくれる人が現れると思っています。