INTERVIEW
起業家
【 株式会社Pallet 】 「大人が楽しく働ける社会」をつくる──人事・組織開発で東北の未来を拓くPallet代表・羽山暁子の挑戦
#HR #リーダーシップ #人材育成 #女性起業家 #東北活性 #経営者マインド
「全ての人が、はたらくことを通して自分を活かし、幸せに向かう社会を共に創り続ける」というミッションを掲げ、東北を拠点に人事・組織開発のコンサルティングや研修事業を手がける株式会社Pallet。代表取締役の羽山暁子氏は、インドネシアで幼少期を過ごし、日本に帰国後、当時はまだ人数が少なかったベンチャー企業(現パーソルキャリア株式会社)での営業・人事経験を経て、仙台へ移住。フリーランスから一転、チームを率いる経営者として、自らの原体験や社会課題への違和感を追いかけるかたちで新たな挑戦を続けています。
本インタビューでは、羽山氏のこれまでのキャリアや起業に至るまでの道のり、東北という土地だからこそ見えてきた課題や想い、そして女性の復帰や働き方に対する取り組みまでを紐解きます。
労働環境や組織づくりを革新し、大人が楽しく働ける社会の創造を推進する羽山氏のストーリーを、ぜひお楽しみください。
Interviewee
株式会社Pallet
代表取締役 羽山 暁子 さん
羽山暁子。株式会社Pallet代表取締役/グラミン日本仙台支部長/東北はたらく幸せ研究所所長。
国際基督教大学(ICU)卒業後、インテリジェンス(現パーソルキャリア)で法人営業・人事を経験し、ブレインパッドでは人事マネージャーとして上場を支援。
人事領域での豊富な経験とアドラー心理学に基づくコーチングを活かし、中小からグローバル企業までの組織開発・風土変革を支援。採用・制度設計・人材育成・エンゲージメント向上まで一気通貫の支援に強み。人事機能のBPO事業「あっぱれHR」では、スキル研修と「スクラムワーク」による就労機会を通じて、女性の経済的自立と企業の人事機能強化、双方の支援に取り組んでいる。
Interviewer
株式会社ATOMica 代表取締役Co-CEO
嶋田 瑞生
1994年仙台生まれ、 東北大学卒業。大学1年生の冬にGamificationの領域で起業。会社経営を通じて様々なオトナと出会い、 そして共創が起きていく面白さに気付く。その後、靴磨きを通じて学生のキャリア教育と地域活性をめざすビジネス団体を立ち上げ、仙台市長に表彰を受ける。
新卒では株式会社ワークスアプリケーションズにエンジニアとして入社し、顧客巻き込み型の開発スタイルを学ぶ。その後、転職活動をする中で創業メンバーや各地の方々との思いもよらぬ出会いがあり、2019年4月にATOMicaを創業。創業から5年で累計資金調達額は13億円、従業員数は100名を超え、北海道から沖縄まで事業展開を進めている。
ーそれではまずは、事業内容について教えてください。
株式会社Pallet代表取締役の羽山 暁子です。当社では「全ての人が、はたらくことを通して自分を活かし、幸せに向かう社会を共に創り続ける」というミッションを掲げています。主に人事・組織開発のコンサルティングや研修を手がけており、企業のメンバー一人ひとりが自分の能力を最大限に発揮できる組織づくりを支援しています。最近では新規事業として、東北地方の女性のリスキリングを通した経済的自立支援にも取り組み始めています。
ー人事・組織開発の中でも、Palletならではの特徴や強みはどのような点にあるのでしょうか?
私たちの強みは「伴走型」という点にあります。各企業のプロジェクトや組織に入り、一緒に課題に向き合う姿勢を大切にしています。既存の枠組みに当てはまらない新しい挑戦をしているからこそ説明が難しく、「分かりにくい会社」だと言われることもあります。やっていることはコンサルや組織開発プログラムの研修ですが、一言で説明するとしたら、大人が楽しく働ける社会を作っている、ということになります。働くことがハッピーではない状態があるとしたら、そこにある従来の規範や常識を一つひとつ疑い、本来あるべき姿を模索しながら、組織づくりをすることが求められていると感じます。
ーその姿勢は羽山さんご自身のキャリアや経験から培われたものなのでしょうか?これまでのキャリアの変遷についてお聞かせいただけますか?
私は元々父の仕事の関係で6歳までインドネシアのジャカルタで暮らしていました。駐在の家庭に育ちながら、家の目の前はスラム街という原体験をし、貧富の差という地球規模の課題を解決したいと思いながら育ちました。
大学はICU(国際基督教大学)に入学し、国際協力を学びました。仕事もその分野で就職したいと考えていましたが、海外でなくても、日本にもたくさんの課題があることにふと気づきました。日本人として生まれたのだから、まずは日本を少しでも良くするということに自分の時間と命を使いたいと思ったんです。そして自分が解決したいと思える課題を発見するプロセスを通じて、人材業界に出会い、肌が合うと感じたインテリジェンス(現・パーソルキャリア株式会社)という人材紹介の会社に2002年に入社しました。
ーインテリジェンスは今でこそ人材業界の一大企業となりましたが、当時はまだベンチャー気質だったと思います。ベンチャーに就職する人は多かったのでしょうか?
いえ、私の周りにベンチャーに就職する人は全くいませんでした。インテリジェンスは当時550人ほどの会社でしたが、私の在籍中に8000人規模にまで成長しました。私はそこで営業として約4年、人事として約4年、計8年ほど勤めました。
その後、30歳になる手前で自分のキャリアを見直したときに、人事として専門性のある、市場価値が高い人間でいたいと考えたんです。つまり、次は小さな会社でゼロから10までの人事の実務経験をしたいと思い、その結果株式会社ブレインパッドに転職しました。ブレインパッドは、入社当時は40人ほどの規模でしたが、そこから一部上場するまで4年間関わりました。その間人事制度の構築や組織開発、ビジョン・ミッション・バリューの浸透などを担当し、死ぬほど働きました(笑)。

ーその後、仙台に移られて、現在のPallet株式会社の立ち上げをされました。その頃に、私も羽山さんにお会いしたように記憶していますが、どのようにして独立・起業に至ったのでしょうか?
私が仙台に移ったのは2015年のことで、夫が会社の復興支援の事業で東北に行きたいと手を上げ、仙台に異動することになったのについていったからです。
その時ブレインパッドを退職したのですが、その後1年間は新幹線で通勤しながら業務委託として働いていました。始めは自分で給料の倍くらいのフィーを設定して、独立資金を貯めるなど戦略的に動いていました。ただこの時点では法人設立や起業の意図はなく、フリーランスでやっていこうと思っていました。フリーになって2年目には「年収300万以上は稼がない」と決めていたほどです。
ーあえて収入を制限するというのは珍しい選択ですね。そこからどのように起業へと方向転換されたのでしょうか?
東京にいた頃は経済合理性の中で仕事をしており、15年くらいでやり切ったという感覚がありました。その間に犠牲にしたものも多かったんです。特に人との出会いが限られていたと感じていました。
フリーランスから起業へと進む転機になったのは、仙台市のスタートアップ支援課が主催する「カルチャープレナー」に会いに行くイベントに参加したことでした。石巻のカフェオーナーや、津波で家族を失いながらも街の再建に取り組む方など、強い信念や志を持った起業家と接するなかで、「自分は何者なのか」と問われた気がしたんです。その時に、自分のリソースも活かさずフラフラと生きていることに、初めて居心地の悪さを感じました。つまり起業家の方たちと同じ視座で語れるようになりたい、この土地で自分なりに貢献できることがあるのではと思ったのです。そして、2019年3月8日に株式会社Palletの法人登記をしました。
ー無理に稼がないという選択が、最初は居心地のよいものだったのが、徐々に違和感になっていたというのは面白い流れですね。起業においては事業から考えていったのでしょうか?また法人化によって変わったことや大変だったことは何でしたか?
いえ、ミッションが先でした。実は事業内容はあまり考えていなかったかもしれません。マーケット概要や競合優位性なども、今でもあまり意識していないんですよ。
法人にした当初は、フリーランスと何か大きく変わったという感覚はなかったです。しかしその後はチームを作っていくことが一番大変でした。法人化から1年は一人でやっていたのですが、良い仕事をしたあとに「あれ、これ誰と喜び合うんだ?」って思って。ビールで乾杯もできない、虚しさだけがある。それがきっかけで仲間を作ろうと決めたんです。
しかし仲間が増えていくにつれ、一つひとつ対話をしながら合意形成していくプロセスが大変になってきました。そしてある時私が、のんびりしたスピード感に飽きてしまい、「アクセルを踏もう」と言って今までの1.8倍くらいのペースで進むことを求めたんです。すると、メンバーから「すごい負荷」「信頼されていると感じられず、辛い」という反発を受けました。社内では今でも「1.8倍の乱」と呼んでいますが(笑)、このように、これまでにいろいろな「反乱」が起きてはそれを解決してきました。
チームを作ることで、私が当たり前だと思っていることが、他の人にとっては当たり前ではないということにも気づきました。またこれまで対話による合意形成を重視してきたのが、いきなりトップダウン型で引っ張れば、それはうまくいかないということも学びました。
ー当時はミッションとのずれもあったのかもしれませんね。今、改めてPalletとしてどのようなことをしようと考えておられるのでしょうか。
2024年の1月に、私たちは解決したい3つの課題を改めて定義しました。
1つ目は、東北で働く人たちの幸福度とエンゲージメントが低いことが事業成長のボトルネックになっているという課題。2つ目は、地域の中小企業の人事機能、つまり一人ひとりの能力を最大限発揮させて成果を出すための仕組みづくりが適切に機能していないという課題。3つ目は、女性が経済活動に復帰する際に障壁があるという課題です。この3つを解決することを、Palletの方向性に決めました。
ー新規事業については、特に女性の経済的自立支援を計画されているとのことですが、具体的にはどのような取り組みをされているのでしょうか?
今、女性のリスキリングを通して経済的自立に向かう支援として、いくつかのPOC(概念実証)を進めています。まず2022年に、少額融資機関「グラミン」の日本仙台支部を立ち上げ、シングルマザーへのマイクロファイナンス(50万円程度の少額融資)を始めました。この融資は自己投資やスキルアップのための資金として活用していただくものです。
しかし、資金提供だけでは女性の経済的自立には不十分と感じたため、次のステップとしてデジタル就労支援を開始しました。具体的には、no code推進協会とUdemyと協業して、kintone(業務アプリ作成プラットフォーム)のトレーニングやビジネススキルのeラーニングプログラムを提供しています。
そして最終的に人事領域の経験を活かして、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の形で就労機会を提供する仕組みを構築しています。人事部門の定型業務をアウトソースし、トレーニングを受けた女性たちに在宅で担当してもらうものです。企業側は定型業務から解放されて、より戦略的な人事業務に集中できるようになります。女性たちは、実務経験を積みながら人事の知識を身につけ、将来的には地域の中小企業に正社員として転職することも可能になると考えています。
ー今のスキームですごく良いと思ったのは、BPOで女性の自立を支援するだけでなく、企業の人事側の水準も上げているという、2つの課題を解決しているという点ですね。ママコミュニティと、地域で就労する環境との掛け合わせは、個人的にもおもしろいと思っている領域です。
その通りです。私たちの一番の工夫は「スクラムワーク」という働き方の導入です。一つの案件を3人のチームを組んで担当してもらいます。特に育児中の女性は使える時間が細切れになりがちですが、3人の細切れの時間を合わせることで1.2人分ほどになり、適切なアウトプットが出せる。また一人で対企業の仕事をするより、スクラムで相互に貢献しあうことで継続力も生まれます。チーム内でお互いの強みを活かし合い、コミュニケーションを取りながら進めることが、女性たちはとても得意なんです。

ー女性の働く環境について、東北という地域ならではの課題を感じられることはありますか。
東北は男女の賃金格差が他地域と比べて突出して大きいです。また家庭で実は女性の方が強いということもなく、虐げられている状況を女性の側も当たり前に受け入れてしまっている、ということがあります。
今でも、東北の大学に通う女子学生が、就職相談で東京に行きたいと考えているのに、両親には「女なんだから事務職について結婚したら家庭に入るのが幸せ」だと言われるらしいんですよ。本人も親を悲しませたくないと悩んでいて。だから私は「あなたの人生だから決めるのはあなただよ。あなたが幸せに生きる姿を見るのがご両親にとっても幸せなことだと思うよ」という話をしています。悪意はないのですが、構造的な問題として根深いと感じています。
ーそのような東北の女性たちに向けて、先ほどのリスキリング事業を展開しているのですね。東北という地で、社会課題の解決に取り組むことの展望をお聞かせください。
私は元々「社会起業家」という言葉に違和感を持っていました。そもそもビジネスとは社会課題を解決するソリューションであるはずなのに、なぜ社会起業家と一般の起業家を分ける必要があるのかと。
東北では、「こんな土地にしていきたい」「こういう未来を作りたい」と強い想いを抱いている経営者が多いと感じています。東北という場所が、「半径5mをこうしたい」というような、地に足のついた課題解決を志す方々が活躍しやすい土地だと思うんです。私自身も、ソーシャルインパクト系の人間として、違和感を他人事ではなく自分事として考え、行動し、楽しみながら続けてきた結果、気がついたら経営者になっていた。東北にそんなソーシャルアントレプレナーが集まることで、グローバルな人的交流が生まれてくるような土地になればおもしろいなと感じています。
―最後に、メガベンチャー、スタートアップ、起業と、異なる立場で働かれてきた羽山さんから、起業に興味を持つ若い方々へのメッセージをお願いできますか?
大企業やメガベンチャーは役割が細分化されていて、社員は一定のルールに則って動くことが求められます。稟議や決裁といった作法を身につける機会にはなりますが、裁量を得るまでに時間がかかるという窮屈さもあります。
一方、スタートアップはむしろルールを作る側になれるのが特徴です。課題を発見して構造化し、解決策を考えていくことが好きな人に向いています。ビジョン実現のために、さまざまなことを試せる自由度があります。
どの環境でも共通して重要なのは、その会社のビジョンに心から共感しているかどうかです。そこが自分の動機付けになるので、絶対に外せない要素ですね。
私の場合は、起業すること自体が目的ではなく、理念に基づく出会いを通じて少しずつ形になってきたという感じです。起業を考えている方には、自分が本当に実現したい価値や理念は何かを明確にすることをおすすめします。
どのような立場で働くとしても、働くということが、ただ自分が生きるための手段というのではなく、社会をよりよくするための手段であることを意識してもらいたいと思います。社会をよくすることの延長線上に、自分で経営をするということがある。それがもっと当たり前になれば、働くことが楽しくなると思っています。
