INTERVIEW

【 amu株式会社 】 廃棄物を価値に変え、グローバルブランドを創る〜廃棄漁網から未来を紡ぐamu株式会社の挑戦〜

amu株式会社|廃棄物を価値に変え、グローバルブランドを創る〜廃棄漁網から未来を紡ぐamu株式会社の挑戦〜

amu株式会社は、「いらないものはない世界をつくる」をビジョンに掲げ、漁具の再資源化に取り組む気仙沼発のスタートアップです。代表取締役CEOの加藤広大氏が2023年に創業した同社は、廃棄される漁網を回収し、ペレット、生地、繊維などにアップサイクル。独自ブランド「amuca®」として販売するほか、アウトドアやファッション業界との商品開発にも注力しています。本インタビューでは、事業立ち上げの経緯や再資源化のプロセス、未来への展望について、加藤氏の熱い思いとともにお届けいたします。

Interviewee

写真:加藤 広大

amu株式会社

代表取締役CEO 加藤 広大 さん

二松学舎大学文学部在学中、(株)Gaiaxにて「TABICA」立ち上げを経験。大学中退後、当時最年少で(株)サイバーエージェントに入社。AbemaTVの番組プロデューサーを担いTwitter世界トレンド1位3回、チャンネル優秀賞獲得。2019年宮城県気仙沼に移住後、廃漁網アップサイクルに興味をもち事業検証を行う。2023年5月amu(株)設立。

Interviewer

写真:鈴木 修

仙台市スタートアップ支援スーパーバイザー

鈴木 修

大学在学時にマーケティング及びEC領域で起業。その後、株式会社インテリジェンスの組織開発マネジャー、株式会社サイバーエージェントの社長室長、グリー株式会社のグローバルタレントディベロップメントダイレクターを経て、2014年に株式会社SHIFTの取締役に就任し国内及び海外グループ会社全体を統括。2019年には株式会社ミラティブでのCHRO(最高人事責任者)、2021年からはベンチャーキャピタルDIMENSION株式会社の取締役兼ゼネラルパートナーに就任。2013年TOMORROW COMPANY INC. / TMRRWを創業し、アドバイザーや社外取締役として、経営や組織人事の側面からスタートアップへのIPO支援や上場企業へのチェンジマネジメントを支援。国内外でのエンジェル投資実績も多数。2023年仙台市スタートアップ支援スーパーバイザーに就任。

それではまず、事業概要を教えてください。

amu株式会社代表取締役CEOの加藤 広大です。amu株式会社は、2023年5月に気仙沼市で創業し、「いらないものはない世界をつくる」というビジョンのもと、漁具の再資源化を中心とした事業を展開しています。

漁網などの漁具は通常、補修しながら長く使われますが、最終的には産業廃棄物として捨てられるものです。私たちは、漁具の年間廃棄量や素材の種類などを、各漁業協同組合に確認しながら買い取りさせていただき、それらをペレット、生地、繊維などにアップサイクルしています。漁具から蘇った素材はamuca®(アムカ)というブランドとして販売するほか、商品企画・開発にも取り組んでいます。

漁具の回収とアップサイクルは具体的にはどのように進めているのでしょうか?

北は北海道、南は沖縄まで、全国の漁港や組合を巡り、使えるものに分類して、回収を進めています。たくさんの漁師さんにお会いすることで、その方のストーリーまで聞かせていただくことがこだわりの1つです。買取価格は漁網の種類や引き渡し時の状態によって変わりますが、元々は産業廃棄物としてお金を払って処分していたものが、多少なりとも漁師さんにとってプラスになって戻ってくるようにと思ってやっています。

素材は、ナイロンか、ポリエチレンか、混合素材か、等によって再資源化のしやすさが決まりますが、私たちは出資していただいているUBE株式会社に、素材分析からお願いしています。輸送は現状私たちが主導し、なるべくコストがかからないよう検討しながら進めています。そして集まってきた原料は、リサイクルの専門業者と連携をして再資源化を行っています。

そこから素材を販売や再活用するための座組みを作るなど、収益化のための出口側も重要だと思いますが、その点も教えていただけますでしょうか?

素材の販売や出口戦略は今後最も重要視する部分です。現在は、繊維や生地をアウトドアやファッションの企業へ提案しているところです。また眼鏡のフレームなど硬いものもペレットから作り出すことができます。

私たちの事業はいわゆるリサイクル技術のディープテックではなく、再資源化された素材をブランドとして確立させることです。例えば、アウトドア用品では有名なGORE‑TEXという素材が、防水など機能性に優れた丈夫な素材として認知されていますが、amuca®もそのように素材として世の中に広めていきたいと考えています。「次はamuca®の何が出るんだろう。どのブランドと組むんだろう」とエンドユーザーがワクワクしてくれる状態を作り出したいですね。

プロダクトをつくる企業にとってリサイクル・リユース・アップサイクルを視野に入れた素材調達は重要ですし、個人的にもファッションはとても関心がある分野ですので楽しみです。このペレットでフレームを作ったサングラス、福井県鯖江産でデザインもトレンドをおさえていてすごくいいですね。

はい。ちなみにこのフレームは、マグロ漁で使うテグスを60%使用しています。こうした情報は、二次元バーコードをつけたタグをつけることで見える化をしています。どこで使われていた何の素材が元になっていて、それをどこで加工して、誰がデザインした、というような情報が消費者にわかるようにすることで、ものへの愛着を持っていただけたらと思っています。

いわゆる広義でのトレーサビリティのような概念もあるのですね。それもおもしろいです。製品化された際にはぜひ購入させていただきます。

ありがとうございます。ただこうしたアイディアの実現や商品化には時間がかかります。そこで今は展示会に出て顧客に近いブランド企業と繋がるなど、できることから進めているところです。もちろん将来的には、素材自体をメーカーに卸して売上を立てていくことになります。

ファッション業界含めて1年後2年後の商品発売に向けて今すでに準備を開始しているという業界もありますよね。それぞれの業界の時間軸も把握した上で先手で仕掛けていきたいですね。話しは変わりますが、加藤さんがどうしてこの分野で起業をされたのか、そのきっかけを教えていただけますか?

元々国語教員を目指していましたが、大学1年生の時の先生とのご縁で、気仙沼の北の唐桑半島にボランティア活動で通うようになりました。そこで出会った方に誘われて、フィンランドのグローバルスタートアップカンファレンス「Slush」の日本開催に関わったことが直接の起業のきっかけとなりました。「Slush」では、スポンサーの企業集めなど学生が主体となって運営していて、起業しようぜ、という雰囲気に影響されました。

気仙沼ではそういうった出会いがあったんですね。その後、私も所属していたサイバーエージェントに入社されていますね。

私はお金がない家に育ったので、世の中に良いことをしながらも、営利をきちんと追求して成功したいなという思いはずっとありました。そのため、今の事業に行き着くまでの間は、学費を払うためにスタートアップのインターンをかなりしていたんです。そんな中でご縁があり、株式会社サイバーエージェントの長期インターンとして働いていました。

面接では気仙沼の話に終始し、起業の意志も伝えていました。役員から「君は辞める前提だよね?」と言われながらも、「御恩を忘れずに、世の中に誇れるような事業を作りたい」と伝えて通してもらったり。インターンでは、abemaTVでゲームをテーマにしたチャンネルを立ち上げるチームに入れていただき、3年ほど経験を積ませていただきました。

企業で仕事をしている間にすでに、気仙沼でどんな事業をするかということは決めていたのでしょうか?

いえ、この段階では、気仙沼で何かするぞという気持ちだけでした。しかし2020年頃、久しぶりに気仙沼を訪れた時、その街並みや人の変化に衝撃を受けて。「震災から10年のタイミングでどういう実績を残せるか」が重要ということも聞き、その時にインターンを辞めて気仙沼に移ることを決意しました。事業については、その後、「地域おこし協力隊」の制度を使って現地で働きながら1年半模索した形です。

気仙沼で実際に活動をする中で漁網のアップサイクルに行き着いたということですが、何か具体的にきかっけはありましたか?

居酒屋に行くと、文字通り世界1周してきたマグロの遠洋漁業の漁師さんから浴びるようにおもしろい話を聞いていました。その中で、漁網は使い終わったら産廃として焼却処分されているということを知って驚いたんです。それで最初は、漁網を素材にしたスニーカーを作りたいなと思いつきました。そして調べていくと、そもそも「漁網を使った糸」もないし、そのような素材ブランドを誰もやっていない、ということに気づいたんです。

そのエピソードはおもしろいですね。何気ない居酒屋での話からビジネスのタネを見つけて、法人設立。創業から1年半が経過しましたが、その間はどのような動きをされていたのでしょうか?

法人設立前から検証を重ねてきた漁網のケミカルリサイクルが、1年かけてようやく実現できました。早いペースだと言われますが、私としては予定よりも遅れている感覚で、歯がゆさがあります。最初にアパレル系に強い投資家と繋がったら違ったのかもしれませんが、今の仲間たちと選択と意思決定をしてきたことで、業界としては型破りな方向を取れたのは良かった点です。あとは売るだけというところまで、ついにたどり着けたのではないでしょうか。

―1年半を振り返ってみて、印象に残っているハードシングスを教えていただけますか?

一番はお金です。ボードメンバーで消費者金融に行くことを真剣に考えるほど、踏ん張った時期はありました。もう一つ、回収した漁網の状態が想定以上に悪く、リサイクル工場にご迷惑をおかけして、断られそうになった出来事も印象に残っていますね。でも、もしここで生産スケジュールが狂ったらすべての関係が途切れてしまう。そこで、とにかく関係者全員で集まり、人力の手作業で不純物を取り除きました。真夏の京都、燃焼作業もある工場内での作業は、暑さで本当に大変だったと強く記憶に残っています。

原材料の供給の難しさを克服しながら生産上では安定性が求められる、リサイクル関連事業ならではの課題を乗り越えながら、ついに2024年8月にはamuca®のリリースを出されましたね。

まずはこれから何としても売り上げを立てるため、出口戦略を泥臭く実行しながら、トラクション(成長の勢い)をつけていきたいと思います。私たちがしたいのは、リサイクル技術の開発でも環境保護でもなく、あくまでマテリアルブランドとして価値を高めながらも、エンドユーザーの認知を高める部分です。海洋プラスチックゴミの約6割を占めるともいわれる漁具ですが、私たちはそのゴミを環境保護のために回収すべきもの、ということではなく、あくまで「魂」や「可能性」として見ています。

―amuca®という価値ある素材が具体的にどう活用され社会に実装されるのか、私自身本当に興味があり楽しみです。大きなビジョンをふまえて、これからどのように事業展開をしていくのでしょうか。

「いらないものはない世界をつくる」というのが私たちのビジョンですが、これは海から廃棄漁網を根絶しよう、ということではなく、産業廃棄物という悪の存在が、別の角度から見ると価値になるというギャップの面白さを感じているんです。そこを、ストーリーとして伝え、ブランディングすることで、漁網以外の分野でも、何にでもポジティブに可能性として捉えられる社会になればと思います。そのためには、素材として一般顧客から認知され、さらに社会的意義や価値をわかった状態で手にとっていただけるようになればと思います。

事業展開としては、ペレット、糸、生地のうち、ペレットが一番早くキャッシュインできる。一方で時間はかかるものの利益率が高いのは生地の分野です。いずれにせよ、これらの素材を使った最終製品が世の中に出るには数年かかるので、経営的に成立するまでには3~4年はかかるのではないでしょうか。認知拡大と浸透をさせながら、いずれは商社などから直接「使いたい」と言われる状態に行き着くことが目標です。

まさにインフラビジネスのように、ファッションや住宅、家具、乗り物などあらゆるもののベースの素材として入っていけそうですね。

今、メインで取り扱っているのはナイロンですが、他の素材についても問い合わせがあるのは、とてもよい状態だと考えています。例えば3Dプリンタのフィラメントに活用するなどは可能性として十分にあり得ます。私たち自身がリサイクル技術の会社ではないからこそ、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリエステルなど出口の幅も広げていけると考えています。

質問の観点が変わりますが、今後大きな発展を狙っていくamu株式会社ですが、その会社をリードしていく経営者として、ご自身ではご自身をどんなタイプの経営者だと思いますか?

私自身は完全に企画屋だと思いますし、今後もずっとそうだと思います。だからこそ、この素材に対してさまざまなことが実現できる技術者が集まってくれていますし、私は妄想からスタートさせて出口の設計やブランディングの提案をして、未来を描いていくプロセスを、ワクワクしながらやれていると思います。

―amuca®という無限に発展可能性がある素材には妄想力が欠かせませんよね。もう一つ、私が加藤さんと接している中で感じている加藤さんの特徴の一つは、その柔らかく謙虚で柔軟で自然体なコミュニケーション。事業を成長させるためには、そのための仲間を集められるかどうかが肝ですから、加藤さんのコミュニケーションの特徴は仲間集めに大きく効いてくると思います。昔からそのようなコミュニケーションタイプだったのでしょうか。

企画が好きという前に人がすごく好きなんです。プロジェクトを成功させて人を喜ばせたいから、どうにかできないか企画に落とし込むという流れです。ちなみに小さい頃は引っ込み思案でしたが、小学生の頃、両親の離婚をきっかけに全校生徒36人という離島の小学校へ転校したんですよ。そうしたら都会から来たというだけで意見や考えを聞かれやすくなり、喋らざるをえなくなって。そこで評価されるという成功体験をして、少しずつ性格が変わっていきました。また日常生活では父親の機嫌を察知する能力が高くなって、人を喜ばせるにはどうしたらいいか常に考える子どもに育ちました。

起業家の経営スタイルに幼少期の原体験が反映されることはよくあることですが、加藤さんもまさにそうなのですね。加藤さんの特徴は、今後事業や組織がスケールし、社内外コミュニケーションが広がる時に、効果的に活かせるシーンが多々ありそうですね。

そうですね。人生辛い体験もあったから、感情としてはずっと怒っているんですよ。でも過去に対して怒り続けていると、疲れるし自分でも嫌にもなる。だからたまに怒っている姿を出したとしても、そういう部分も受け止めてくれる仲間と一緒にやっていきたい。価値がないとされてきた廃棄漁網が、超かっこいい服になって、有名ブランドに採用されたら?ということも、「いらないものはない世界を作る」というビジョンも、私にとっては、人間も人生捉え方次第で好転できるし、価値や可能性を作り出せるんだ、ということを、世の中に対して証明したいのかもしれませんね。